皆さんは岩倉具視500円紙幣と呼ばれる紙幣をご存知でしょうか。
少し昔に使われていた500円紙幣の一種です。
もしかしたら教科書などでご覧になったことがある方もいらっしゃるかもしれません。
今回はそんな岩倉具視500円紙幣について歴史やその価値などを中心に説明していきます。
岩倉具視ってどんな人なの?
岩倉具視は1825年に山城国京都で生まれました。
公卿・堀河康親の次男として生まれたのですが、堀河は岩倉具視をすぐに大器の人物と見抜き、1838年岩倉家へ養子に出したといいます。
岩倉家は身分は高かったものの朝廷の中ではそこまでではなく発言権も薄かった。
しかし、岩倉具視が提出した改革の意見書のクオリティに目が止まり、徐々に発言権を得るようになっていきます。
その後岩倉具視は1858年に八十八卿列参事件という事件を起こします。
八十八卿列参事件というのは日米修好通商条約の撤回を求めて岩倉具視を始めとする88人の公家が座り込みを行って抗議したという事件です。
この事件によって、日米修好通商条約は一旦保留にされ、岩倉具視の勝利であるとされています。
しかし1858年、有名な安政の大獄が起きてしまいます。岩倉具視の反対も虚しく井伊直弼が独断で日米修好通商条約を締結してしまうのです。
これに怒った反対派は井伊直弼らに対する大弾圧を行ったのでした。
1860年に桜田門外の変と言われる井伊直弼が暗殺される事件が起きます。
井伊直弼の死により安政の大獄運動も落ち着き、この際に岩倉具視の意見書が天皇に送られたそうです。
その意見書は非常に的を射たものであり、ほぼ意見書通りに事は運ばれて行ったといいます。
その後岩倉具視は失脚や隠居の時代へと突入しますが、裏でも政治的画策は常にしていたそうです。その後の王政復古運動などにも加担し、ついには岩倉具視は国内行政全般と宮中の庶務を監督である輔相にまで登り詰めるのでした。
しかし、1869年には病を理由に辞職してしまいます。
辞任後も岩倉具視は廃藩置県や版籍奉還に対する意見書を出すなど政治に対して積極的な姿勢を取り続けました。また、廃藩置県の同日に岩倉具視は外務卿へと就任し、右大臣も兼務しました。この際に岩倉具視が送った岩倉使節団は有名なものでしょう。
このように岩倉具視は近代日本にかけて政治的に大きな影響力を持った人物ですので、お札のデザインになるのも納得の行くことでしょう。
岩倉具視500円紙幣の現代の価値は?
岩倉具視500円紙幣は現在も使用可能です。
つまり価値は基本的には500円となります。
しかし、岩倉具視500円紙幣の中には高額で買い取ってもらえる紙幣があることをご存知でしょうか。
それはミスプリントと呼ばれる種類の紙幣や、珍番号紙幣などです。ミスプリントというのは、紙幣を印刷する段階で何らかの事故が起こり、正常に印刷されなかった紙幣のことを指します。
また、珍番号というのは、紙幣の発行番号がゾロ目であったり階段状であるなど、特殊な番号であることを指します。これらの紙幣についてはかなりの高額で買い取ってもらえる傾向にあります。
岩倉具視500円紙幣はどこで売ればいいの?
岩倉具視500円紙幣を売却したいなら
古銭取り扱いショップやインターネット上のオークションサイトやフリーマーケットサイトなどを利用するという方法が挙げられます。
それぞれのサービスにはメリットとデメリットがあるので、そこは気をつけなくてはならない点です。
例えば、古銭取り扱いショップのメリットとしては、その場で鑑定してもらうことができることや、その場で買い取ってもらうことができることなどの手軽さ、信用性があります。
実際に古銭の価値に全く知識がない方でも古銭取り扱いショップに行けば正確にその価値がわかることが多いと言えます。
一方、デメリットとしては実際に足を運ばなくてはならない点や、店舗によって買取価格にばらつきがあるので一番高く買い取ってもらうにはいくつかのショップを回らなくてはならないなど、労力がかかる点です。
オークションやフリーマーケットサイトを利用する場合も出品前に買取査定額を知っておくためにも、査定依頼することをおすすめします。
オークションサイトやフリーマーケットサイトを利用する場合は手数料なども考えて利用するようにしましょう。
岩倉具視500円紙幣まとめ
岩倉具視500円紙幣一枚をとっても様々な歴史や価値があるのですね。
皆様にはこれからも紙幣を通して昔の日本の様子や現代での歴史を学んでいただき、さらにはこういった偉人の功績を楽しんでいただければ幸いです。