伊藤博文1,000円紙幣は1963年11月に発行された紙幣です。
50年以上まえに発行された紙幣ではありますが、いまでも使える現行紙幣です。
しかし、現在ではほとんど流通をしていないので見かけることは少ないかもしれません。
今回は、この伊藤博文1000円紙幣の歴史について、またその価値などを説明していきたいと思います。
伊藤博文1000円札の伊藤博文ってどんな人?
伊藤博文は、1841年に周防国で生まれました。現在の山口県です。
伊藤博文が1,000円札の描かれる理由となった1つに日本で初めて発足した内閣の総理大臣であったことが挙げられます。
伊藤博文は長男として生まれたのですが、家が貧しかったため12歳の頃に養子になり足軽となりました。1857年、来原良蔵の紹介で松下村塾に入塾することになります。
身分は低かったものの優秀であったため、京都派遣に随行したり、長崎で勉学をしたりなどいろいろな経験を積むことができたそうです。
安政の大獄で師である松陰が殺害されると、尊皇攘夷運動に加わるようになり、海外渡航も考えるようになりました。
その後、1863年にはイギリス留学を果たします。
ロンドンについたあとはアレキサンダーウィリアムソンの歓迎を受けつつ、英語やイギリス式マナーを学びました。
1864年に日本に戦争の兆しがあることがわかると、即刻帰国し戦闘回避のため奔走しますが、戦争は起こってしまったのです。
伊藤博文は戦後には和平交渉のため持ち前の英語スキルを使ったそうです。
伊藤博文は、こうした明治維新の動きの立役者としても有名です。明治維新後は英語の堪能さを買われ次々と出世し、井上馨や大隈重信とともに改革を行っていきました。
1870年には工部卿として殖産興業を推し進め発展させたことでも有名です。
しかし、最も彼の名を有名なものにしたのは初代内閣総理大臣就任でしょう。
1885年に内閣制度に移行すると伊藤博文が内閣総理大臣に就任しました。
総理大臣は誰にするという会議の中、国際化の時代、外語電報を読める必要があるとの意見が上がりました。メンバーの中で外語電報が読めるのは伊藤博文ただ一人でした。
こうして伊藤博文はめでたく初代内閣総理大臣となったのでした。
このように伊藤博文は明治時代から近代的な内閣制度までを作り上げた、歴史のターニングポイントとなる人物なのです。故に1000円札に肖像画が残ったと言っても納得の人物でしょう。
伊藤博文1000円紙幣の価値はどれくらいなの?
伊藤博文1000円紙幣は現在でも使うことができます。
それ故に伊藤博文1000円紙幣には1000円相当の価値しかありません。
しかし、そんな伊藤博文1000円紙幣の中にも高額で取引されるものもあるのです。
それはエラープリントや珍番号と呼ばれる種類の紙幣です。エラープリントというのは、お札を刷る段階で何らかの事故が起こり、正常な柄が印刷されなくなってしまった紙幣のことです。
こういった紙幣は高く売れる傾向にあります。また、珍番号というのは、お札の発行番号のうち、ゾロ目であったり階段状であったりなど、珍しい配列を持っているもののことです。
こういった珍番号の紙幣についても高値で取引される傾向にあります。
伊藤博文1000円紙幣はどこで売れるの?
伊藤博文1000円紙幣を売却することを考えているなら、
古銭取り扱いショップやインターネット上のオークションサイトやフリーマーケットサイトなどを利用するという方法が挙げられます。
それぞれのサービスにはメリットとデメリットがあるので、そこは気をつけなくてはならない点です。
例えば、古銭取り扱いショップのメリットとしては、その場で鑑定してもらうことができることや、その場で買い取ってもらうことができることなどの手軽さ、信用性があります。
実際に古銭の価値に全く知識がない方でも古銭取り扱いショップに行けば正確にその価値がわかることが多いと言えます。
一方、デメリットとしては実際に足を運ばなくてはならない点や、店舗によって買取価格にばらつきがあるので一番高く買い取ってもらうにはいくつかのショップを回らなくてはならないなど、労力がかかる点です。
オークションやフリーマーケットサイトを利用する場合も出品前に買取査定額を知っておくためにも、査定依頼することをおすすめします。
オークションサイトやフリーマーケットサイトを利用する場合は手数料なども考えて利用するようにしましょう。
伊藤博文1000円紙幣 まとめ
伊藤博文1000円紙幣一枚をとってもいろいろな歴史が背景にあるものですね。
古銭を手放すことを考えた場合、どの方法を使う場合も専門の鑑定士による価値に確認をすることをお勧めします。
当サイトでご紹介をしている古銭買取業者は無料で査定ができますので、まずは査定をおこなってお手持ちの古銭の価値を確認してみましょう。