「今日は学校に行きたくない」という気持ちは誰にでも経験があるのではないかと思います。
前日に友達とケンカをしてしまった、先生に怒られた、宿題や課題をやっていない、苦手な教科の授業やテストがある、行事に参加するのが嫌だ、部活動が辛い、平日にどうしても行きたい所がある、どうにも疲れがたまってしまった…そんな理由です。
これは“ずる休み”“さぼり”などといわれることが多く、小・中・高の12年間で一度や二度は皆さんにも記憶があると思います。たいていの場合は本人の立て直しや周囲の協力によって問題が取り除かれて再び登校します。親もそれほど大きな問題とは考えずに通り過ぎていくことでしょう。
しかし、上記のような一見誰にでも起こりうる理由によって「不登校」に陥ってしまうことがあります。周囲との大きな衝突やいじめなど明らかな問題があった場合には親や教師にも不登校の原因がわかります。しかしそうではない場合も実はたくさんあるのです。
見守るだけでよい? 親の対応とは?
小学生の場合、最初に身体的な不調が出て何となく登校を渋るようになり、いつの間にか本格的に行かれなくなるといったことも多いようです。本人は登校しようとするものの身体的な不具合が先行するケースです。
小学生の段階で、何が自分のストレスになっているのかをしっかり把握して人に説明することは難しいでしょう。
そうした時に身体的な症状が先に出てきます。親としては、実際に症状が出ているということもあって登校させることを躊躇するでしょう。
家にいる間は大丈夫だが登校をほのめかせると体調が悪くなるといった場合もあります。結局、病院で検査をしたり家庭内で様子を見たりしているうちに時間が経ってしまい、本人もよけいに登校しづらくなってしまうという悪循環に陥ることがあります。
身体的な不具合が先行することは中学生・高校生の場合にもあります。体調がよくないということは本人にとってまぎれもない事実です。ただ中・高生の場合「なぜ登校できないのか」「登校したくないのか」の理由について、小学生よりは幾分はっきりと自覚していることが多いでしょう。
けれども、その理由について親や教師に説明することはたいていの場合嫌がります。
中・高生になると大人には介入できない世界があり、そこでの問題解決を親や教師に頼ることは本人のプライドに関わります。
また、大人が介入しても解決できないだろうという諦めも加わります。さらに、小学生よりも学校生活からドロップアウトしてしまうことに対しての強い後ろめたさや焦りが本人の中にあります。ですから、理由についてしつこく詮索することはかえって本人をかたくなにしてしまいます。
不登校のお子さんを「見守る」のは、親としては実はとても辛いことです。不登校気味となってしまった当初は「なぜ?」「どうしたらいいの?」と親も困惑し、とてもお子さんを見守るという気持ちにはなれないでしょう。
しかし昨今、中学・高校生自殺のニュースは後を絶ちません。そこまで追いつめられる前に「不登校」という手段でSOSを発してくれていることはある意味では救いと言えるのではないかと思います。親として何ができるのか、あるいは何をしてはいけないのか、しっかりと腹をくくって考えていかなければならないでしょう。
お子さんの置かれている状況や気持ちの理解などが進むにつれて「少し見守っていったほうがいいのかもしれない」ということになったら、焦る気持ちはあまりお子さんに見せないほうがいいと思います。一方的な意見の押し付けや本人の承諾を得ない援助策もあまり効果を発揮しないでしょう。
たとえば、今まで学業やスポーツといった分野で頑張ってきたお子さんが、受験の失敗や進学先での成績低下、部活動などでの何らかの衝突や挫折といったことにより不登校となってしまう場合などです。
中学・高校といった比較的高い年代のお子さんが陥ることが多く、今までの学校生活を本人なりに頑張ってきた場合が多いのです。親の側の過度な期待も子どもにとってはプレッシャーとなっていることがあります。
こうした時、親としてはそれまでのお子さんの方向性を変えることには抵抗があるでしょう。途中で方向転換したり息抜きを求めたりすることを「だらしがない」と一刀両断する親さえいます。親の思いと子どもの生き方とは全く別ものであるということは誰もが一般論としては知っています。しかし親の思いを無意識的にせよ子どもに押し付けているという例は今も意外と多いのではないでしょうか。
お子さんが何らかの方向転換を必要としている場合には、親は自身の意見を述べたてることを控え、「見守る」姿勢が必要となることもあるでしょう。
一方、見守っているだけではかえって本人のためによくないこともあります。
たとえば無気力や極度の生活リズムの乱れ、学習面での遅れなどから不登校となってしまう場合です。また、これといって表面的には事件がなかったとしても、学校生活の中で慢性的に周囲との違和感や孤立状態を抱えていることがあります。本人が常に何となく「生きづらさ」「居心地の悪さ」を感じている場合、だんだんと不登校状態になってしまうことがあります。
こうした場合には身体的・精神的な問題が潜んでいることもあります。学校だけではなく、医療、支援センター、カウンセリング、フリースクールといった第三者機関への相談が必要となるかもしれません。そういったときには親は積極的に子どもにとっての援助策を探していく必要があるでしょう。
不登校の状況は様々です。したがって本人への対応も様々です。「見守り」と「働きかけ」、この二つを適度に使い分けながら進んでいくことになるでしょう。
悪化させないように気をつけるべき事は?
1.家庭内の分裂を避ける
不登校にはいうまでもなく家庭内の状況も大いに影響します。子どもと親との行き違いだけに気をつければいいというわけではなく、父と母との意見の相違や子どもへの対応に関する温度差は避けなければなりません。状況によっては祖父母といった存在とも協調が必要です。これは決して不登校の子どもに対してというだけでなく、子育て全般について言えることです。
父親の対応や意見は子どもにとって大変重要です。
母親は子どもとの関係性が強いため、子どもの日頃の状況を一番よく把握しているといえます。しかしそれゆえになかなか客観的な状況判断ができない場合もあります。そういったとき父親の冷静な判断力は大変有効です。子どもにも父親の言葉は安心を与えます。
父親の無関心はぜひとも避けなければなりません。
社会の第一線で活躍している父親からすると学校での問題など瑣末なことに思えるのかもしれません。あるいは毎日の仕事に追われ「それどころではない」という父親もいるでしょう。しかし父親が無関心であったり問題を軽く考えていたりすることはお子さんに必ず伝わります。それはこれから先のお子さんの自信喪失につながります。
2.ゴールを無理に設定しない
不登校の解決は一般的に考えると「元の学校に登校する」ということになるのでしょうか。
そうなればいちばんよいのかもしれません。けれども子どもの置かれた状況や性格は一人一人違います。将来への考え方などの方向性も様々です。ともすれば一般的なゴールではない解決法を探していくこともあります。親としては様々な情報を集めながら、子どものとることのできる選択肢の幅を狭めないように常に考えていく必要があります。
親の思いこみや焦り、世間体や一般論を捨てる覚悟も必要です。こういった覚悟はもちろん学校や様々な機関などと広く相談したあとの話ですが、そういった様々な人たちと話をしたあとは、お子さんに最もよいと思える方法をお子さんと一緒に焦らずに探していきましょう。
3.「思考停止」の状態にさせない
お子さんによる意思決定や選択ができるような場面があれば、小さなことでも尊重していきましょう。
不登校が続くと親の側にも疲労が蓄積し、お子さんの意思を汲むことを諦めてしまいがちとなります。しかし日常生活のどんな小さなことでもいいので、何かを決めたり選んだりする場面を設けていきましょう。
そのためにも家庭内での会話をできるだけ増やしましょう。特別扱いする必要はありません。兄弟姉妹も交えて何気ない日常会話をしていく時間が大切です。
当然ながら「見守り」と「放置」は全く違います。不登校中のお子さんが家庭内で「放置されている」「孤立している」と感じてしまうことは大変辛いことです。たとえばもしもお子さんが学校以外の場所に出かけたいといった意思があるならば、家族で出かけてみるのもいいでしょう。
考えて決定したり選択したりすることを求められない生活は「引きこもり」のような状態につながってしまう恐れもあります。本人にとって負担の大きい決断をいきなり迫ることはもちろんやめた方がよいと思いますが、お子さんが「自分の考えを誰からも尋ねられない」といった状態に慣れてしまうことはぜひ避けたほうがよいでしょう。
柔軟な対応と受け止める気持ち
不登校の場合の親の対応は本当に様々です。
そのお子さんに適した方法を親子で模索していくしかありません。
模索していく中で、親としての一般論や常識といわれるものが覆ることもあると思います。それでも、お子さんにとってそれがいちばんよいと思えるならば親も考えを改めていかなければなりません。頭が固いままではなかなか取り組むことのできない問題です。
どんな場合でも根底に必要なのは「その子にとっていちばんいい方法は何か」ということを考える姿勢です。様々な情報を集めていくことは確かに有意義ですが、不登校の状況や解決の方法、解決までの時間などを誰かと比べて一喜一憂することは無意味です。成長の一つの過程として、お子さんのありのままの姿をしっかりと受け止める気持ちが大切です。